とにかくやってみなはれ、やる前からダメだとあきらめるやつが一番つまらん人間だ!全ての挑戦する人へ!18歳の僕の人生を変えたこの言葉を捧げます。

      2016/03/09


「とにかくやってみなはれ、やる前からダメだとあきらめる人間が一番つまらん人間だ」

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僕の人生のターニングポイントには、いくつかの大切な言葉があります。

この言葉は第一次南極越冬隊隊長の西堀榮三郎さんが、他の隊員に向けておっしゃた言葉です。

僕はこの言葉をはじめて聞いた時に、本気で号泣しました。

「まるで自分のことじゃないか。俺はまだ本当に何もしていない。」と。

 

あれは高校3年生の秋、担任との進路相談の面談から帰った僕はひどく落ち込んでいました。

僕は当時、関西大学の商学部を志望していました。

学力テストの入試ではなく、AO入試という「ビジネスプラン」を作って発表するというタイプの入試が僕が高校三年生の時に関西大学の商学部ではじまったのです。

進路相談の面談時に僕は担任の先生にAO入試で受験したいと伝えました。

「はぁ?AO入試?どうせ無理だよ。

そんなのは才能があるやつとか、ずっと準備してたやつが受けるのだから。

君は何もしてないだろ?

だいたい時間がないじゃないか、もう一次試験の締め切りまで一ヵ月ちょっとしかない。

そんなことする暇があったら英単語の一つでも覚えろ。

現実をみろ。やめとけ、時間の無駄だ。」

と一蹴され、鼻で笑われたのです。

僕は見事に意気消沈しました。

 

不安でいっぱいで、それでも受けてみたい。挑戦してみたい。

当時劣等感の塊だった僕は勇気を出して担任に話したのですが、応援どころかばっさり否定されて終わりました。

進路相談の順番待ちをしていたクラスメートに同じことを話しても担任と同様のリアクションでした。

僕の通っていた高校は中の下くらいの学力で「だるい」「めんどくさい」「何熱くなってんの?アホちゃう?」
という空気が学校中に蔓延していました。

熱くなることがダサいという風潮。

僕もそんな感じの高校生だったのですが、高校2年生の時に英語を担当してくれた河原先生という先生がそんな僕の中にくすぶる「何か」に火をつけてくれたのです。

 

 

夢を持つならでっかく丸太みたいな、しがみつけるような夢を持て!

河原先生は高校2年生の一年間だけ僕らの学校で教えてくれていました。

英語の先生なのですが、英語の授業はあまりせずに

「お前ら夢を持て!どうせ持つなら自分がしがみついても落ちないような丸太みたいなでっかい夢を持てよ。

人生生きてたら、どんどん夢はすり減っていくからな。

マッチ棒みたいなすぐにすり減ってなくなるよう夢じゃなくて、丸太みたいなでっかくて太い夢を持つんだ!」

最初僕はこのおっさんは一体何を言ってるんだろう?馬鹿じゃないのかと思っていました。

でもね、この言葉を一年間聞き続けるとだんだんと

「自分の夢って何だろう?自分は何がしたいんだろう?」

と少しずつ考えるようになってきます。

一年も経つ頃には、「だるい、めんどくさい」と言っていた人間が「何かしてみたい!でも自分なんかに出来るんだろうか。。。でも!」といった具合に変わっていました。

河原先生は結局一年だけで退職されてしまったのですが、最後の授業はクラス全員でお礼と拍手が起こりました。

そんな光景は僕の学生生活の中で河原先生の最後の授業一度きりでした。

 

 

とにかくやってみなはれ、やる前からダメだとあきらめるやつが一番つまらん人間だ

「やっぱり、自分なんかがAO入試で合格するのは無理なのかな。そうだよな、単語の一個でも覚えるか。」

「AO入試はあきらめようか、でも。。。」

自分の中で何かが抵抗するのですが、あまりにも今までの人生で自分に成功体験と呼べるものがなさすぎて、「自分なんかはダメだ」という声に押し潰されそうになっていました。

そんな時でした。

たまたまその時やっていたNHKのプロジェクトXの「南極越冬隊」の回の放送によって、僕の人生を変えるあの言葉に出会います。

 

「とにかくやってみなはれ。やる前からダメだとあきらめるやつは一番つまらん人間だ。」

番組の内容はこうでした。

戦後、敗戦国として日本国民全員が落ち込んでる中、南極越冬隊は当初予定になかった越冬を敢行していました。

南極の観測や研究で世界に日本の凄さを知らしめるために。

越冬隊を率いていたのは西堀榮三郎さん。

冒険家であり雪山賛歌を作詞され、科学者で真空管ソラの開発者でもある技術者です。

アインシュタインが来日された時は当時高校生ながら通訳を勤めた「凄い人」。

越冬隊員は当初南極で越冬する予定がなかったので、いわゆる「落ちこぼれ」が集まっていました。

最初は皆意気揚々と、南極で観測や研究をしようと意気込んでいたらしいのですが、過酷な環境の中で次第にやる気も薄れて部屋の中で麻雀などに明け暮れていったそうです。

そんな隊員たちの姿を見ても何も言わずに、黙々と自分の作業をする西堀榮三郎さんにある日、隊員たちは耐え切れなくなって言い出します。

「西堀さん、俺たちは落ちこぼれなんだ!あなたみたいに優秀じゃない。」と。

「そんな俺たちが世界を驚かすような観測や研究が出来るわけない!」と。

そんな隊員たちに向かって西堀榮三郎さんは仰います。

「とにかくやってみなはれ。やる前からダメだとあきらめるやつが一番つまらん人間だ。」

「自分を蔑むな、落ちこぼれほど強いんだ。」

隊員たちの顔つきが変わった瞬間です。

隊員の中に最年少の北村泰一さんというオーロラを観測している方がいました。

北村さんは当時、深夜のオーロラの観測中につい居眠りをしてしまい、火事を起こして研究資料や観測機材を全て燃やしてしまったそうです。

「やはり、自分は落ちこぼれだ。」

学業の成績がよくなく、就職先もなく南極に来た北村さんはとても落ち込んだそうです。

後日、北村さんは西堀榮三郎さんの部屋に呼び出されました。

北村さんは「馬鹿なことをした!」と怒られると思って西堀さんの部屋に入りました。

すると西堀榮三郎さんは手作りの新しいオーロラの観測機を作ってくてれいて、北村さんに渡したそうです。

「火事くらいで落ち込むな。失敗したらまたやり直せばいい。」

「北村を手ぶらで返すわけにはいかんからなぁ。」

北村さんはその後、オーロラの研究者として世界的な権威になられました。

当時を振り返り、スタジオでそのエピソードを話していた北村さんは思わず感極まってその場で泣き崩れていました。

それだけ、心を動かされたのでしょう。

僕は西堀榮三郎さんの言葉と、それに奮い立った隊員の方々の奮闘を番組で見て涙が止まりませんでした。

それと同時に自分の中の「何か」が大きく燃え始めたことを感じました。

「俺本当にまだ何もしてないよ!何やる前からあきらめてんだよ!ここでやらなきゃ嘘だ!」

まだ何もしていないのに、少し否定されたくらいでやる前からあきらめようとしてた自分に腹が立ち、僕は涙の中決意を固めました。

「関西大学商学部のAO入試に挑戦する」と。

僕の中に情熱が生まれた瞬間でした。

 

18歳の人生をかけたはじめての挑戦

僕はプロジェクトXを見た翌日から約1ヵ月間学校を休みました。

自分の全ての時間とエネルギーをAO入試に使って挑戦しました。

「挑戦する」とは決めたのですが、頭の中は不安でいっぱいです。

「時間がない」「どうせ無理」「時間の無駄」「お前には無理」・・・

こんな言葉が頭の中によぎります。

でも、やると決めたんです。

西堀榮三郎さんの言葉、奮闘した隊員たちの雄姿、そして河原先生の言葉を信じて。

何よりも僕の中に火が付いた「何か」を信じて。

高校生だった僕は、人生ではじめて本屋さんで漫画と参考書以外のコーナーへ行きました。

ビジネスプランの書き方という本を読み、本当に何もわからない中、手探りで作って、志望動機を書いて、家族や親戚に見て貰って助けて貰いました。

僕は家が関西大学の近所だったので、オープンキャンパスの日は朝イチで関西大学商学部のブースに行って教授の質問コーナーのところに並んでビジネスプランを見て頂きました。

時間ごとにブースを担当される教授が変わるので、変わる毎に行って様々なアドバイスを頂いて、それを元に直してはまた持っていくということをしてビジネスプランをカタチにしていきました。

「また君か」と面倒くさそうにされても、笑われても、僕にはやるしかなかったのです。

出来る事はなんでもする!そう思って思いつくこと、頂いたアドバイスはなんでもやりました。

不安や緊張で眠れない、焦りばかりが募っておかしくなりそうな時もありました。

その中で瞑想することや、イメージトレーニング「既に合格した姿をイメージして皆に祝福されているところをまで想像する!」など意識や感情の扱い方を実践しはじめたのもこの時からです。

一次選考が合格し、プレゼンテーションが二次選考だったのですが、当然ながら高校生の僕は「プレゼンテーション」という言葉を聞いたことすらありませんでした。

いとこのお兄さんのパソコンを借りてパワーポイントというソフトを開いて、本を片手に見ながら作っていきました。

※当時手探りで作った資料です。

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2次試験当日、父は合格を祈願して朝からお墓詣りに行き、母も「ゆっくり、落ち着いて、深呼吸!」と僕の手を握って送り出してくれました。

試験当日のことは、実はあまりよく覚えていません。

夢中でやって、気付いたら終わっていました。

生まれて初めてのプレゼンテーションでした。

それは人生をかけたプレゼンテーションでした。

 

 

澄み切った青空と空気の味が変わる瞬間

2次選考が終わって一週間、僕は学校に通っていました。

AO入試が終わってから心はずっと曇り空、結果が気になって集中できません。

もっとこうすればよかった!ああすればよかった!そんなことを考えていました。

そわそわして、落ち着かないそんな2001年12月1日土曜日の午後です。

午前中で学校が終わり、自転車で帰っている途中でした。

家からの電話で僕の携帯電話が鳴ります。

結果はどうだったんだろう??

「大悟!やったよ!」

母は興奮収まらない様子でした。

僕は声にならない声を出して、何故か勝手に顔が上を向いて空を見上げていました。

そこには雲一つない真っ青な青空が広がっていました。

空気が澄みきって、呼吸がすごく楽になって、空気ってこんな美味しかったのかとびっくりしました。

「俺やったんだ。」

「ありがとう。」

本当に嬉しかったです。

あの時、涙の中で始まった僕の人生をかけたはじめての挑戦は「合格」というカタチで幕を閉じました。

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情熱の連鎖よ、必要な人に繋がりますように!

くじけそうになった時に何回も見たプロジェクトX「南極越冬隊」のエンドロールで中島みゆきさんの歌に合わせて田口トモロヲさんのナレーションが響きます。

「未知の世界に挑む探究心と失敗を恐れぬ勇気、その時誰もが持っていた。」

僕はあの時、自分にとって全く未知の世界に挑んでいきました。

失敗は恐れていましたが、それ以上に自分を後押ししてくれる「勇気」をくれるものを持っていました。

それは言葉であったり、映像であったり、様々なカタチをしていますが、つまるところ「情熱」です。

 

情熱の連鎖よ、必要な人に繋がりますように!

(※「情熱の連鎖」については全てのことは繋がっている!僕はそれを情熱の連鎖と呼ぶ!を参照してください。)

僕はアインシュタインから西堀榮三郎さんが受け取ったものを、テレビを通じて勝手に受け取りました。

それは当時の僕にとって何よりも必要で大切なものでした。

あれから14年、僕は彼らから受け継いだ「情熱(言葉と挑戦の経験)」をこの文章を通してつなげます。

アインシュタイン→西堀榮三郎→内藤大悟→あなたへ

 

今、まさに受験シーズンですね。

頑張れ!受験生だけじゃなくて、全ての挑戦する人々!

僕も頑張ります!

読んで頂いてありがとうございました。

内藤 大悟

 

情熱の循環はこちら→MOVEについてあなたに知ってほしい3つのこと+1!

 

yatteminahare

 

※僕の人生を変えたプロジェクトX南極越冬隊の動画を発見しました。

何回見ても震えます↓↓↓


プロジェクトX 第041回 「極寒南極越冬隊の奇跡」(後編)~南極観測・11人の男たち…

 

 


 - 弱さ, 自分の動かし方, 自分へのありがとう

 

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