ひき算とたし算の物語

ひき算とたし算の物語

世に「名コンビ」は多い。

スポーツ、芸能は言うまでもなく、ビジネスの世界にも。

Apple社を興したスティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアック、

ソニーの創業者、井深大と盛田昭夫、

日本アニメ界の金字塔、宮崎駿と鈴木敏夫・・・。

一方がアーティストなら、もう一方は技術者、

一方が経営者なら、もう一方は参謀、というように。

 

ここ関西なら、ボケとツッコミ。

やすしきよし、いくよくるよ、阪神巨人・・・。

 

そんな名コンビに勝るとも劣らない二人が、いる。

 

先人たちが、なぜ出会い、なぜ一緒に仕事を始めたか、

後の世になって分かるように、彼らもまた「なぜ一緒に仕事を?」と首を傾げられる二人だ。

しかし、幾多の先人たちがそうであったように、二人が出会い、起業したのも、

時代と社会が求めた必然だった。

不思議な名前が表すように。。。

たった四つの共通点

共同代表:ナイトウダイゴ。

データ分析、価値発見のスペシャリスト。≪掘り出す者、変換する者≫。

膨大な数字の山に分け入り、大切なもの・金脈を見つけ、更に、一見つながらないものを繋げて、解決に導く。その手腕は高く評価されている。また、若いのになぜか、誰からも「相談したくなる」と言われる不思議な魅力を持つ。

そんなナイトウが生まれたのは1983年。大阪府吹田市で、司法書士の父と絵の先生の母の長男として誕生。小学校の時に「夢は海賊」と書いたほど、自らの進路を求めてやまない少年だった。それは、自らの意志で数奇な運命を生きた祖母や曾祖母からの隔世遺伝かもしれない。そのくせ長年、人と比べては、「心で悩み、顔で笑い」というしんどい癖を持っていた。

 

共同代表:しみずまみ。

「やる気」を引き出す笑顔の専門家。≪動かす者、風を起こす者≫。

「♪たとえば君がいるだけで心が強くなれること♪」(1992年米米CLUB)という歌そのままの人。しみずを真ん中に写真を撮れば、皆なんともいい笑顔に。「好きなのに、大切なのに相手を傷つけてしまう」とか、「やらねばならないのに動けない」とか、時にままならない人の心を、笑いとダンスと動くことで整える。「ありのままでええやん」がモットー。

そんなしみずの誕生は、ナイトウより一回り前の1971年。大阪市内に代々続く地主の家だった。戦死した夫の跡を継いだ祖母は子どもたちを育てるのに、大きな池も売ったという。生来の聡(さと)さ故に周りの大人の思惑を敏感に感じ取り、演じることを覚えてしまう。学びを好み、進むことを求めて止まず、祭り太鼓のように場を盛り上げる才能は、結婚と子育てを経るまで封印されることとなる。

 

こんなふうに、生まれも性別も育ちも全く違う2人だが、共通点が4つだけあった。
一つは、亥年生まれ。何事にも一生懸命で、時に限界を越えて頑張ってしまう癖。
二つ目は長子であること。自らに課した「良い子であらねば」の枷(かせ)は、生まれ出ようとする好奇心と度々バトルを繰り広げる。三つ目は、鋭い感受性ゆえに理不尽が許せなかったこと。
最後の一つは、どちらも祖母によって仏教書から名付けられたこと。

この四点を横軸に、人生における-(マイナス)と+(プラス)を縦軸に、二人の人生の放物線は30年後のある一点で交わることとなる。

つながりの始まり

「ねえ、なんでうちには外国人のお兄さんやお姉さんがいっぱいいるの?」

小学生のしみずがこう聞いたほど、家には多くの留学生がいた。まだ戦争の爪痕も残る頃、型破りな祖母が息子(しみずの父)の英語の家庭教師としてアメリカ人の牧師を招いたのが始まりだった。加えて、家にはいつも親戚の誰かしらがいた。「あれ?今日もおばさん来てるなぁ」。家は、さながら“小さな国連”のようだった。

誰に対しても全く物怖じしない清水に、祖母は果たせなかった夢を託した。ピアノ、エレクトーン、そろばん、スイミング、お花、塾等、習い事で彼女の一週間を埋め尽くした。自慢の孫だった。

しかし、どんなに型破りでも気丈でも、染み付いた古い価値観だけは打ち破れなかった。「男(弟)よりうまくなったらアカン。女に学は要らん」。

「今考えると、祖母の心も傷ついていたのだと思います」。そう言うしみずだが、小さい頃は混乱した。「私はいったいどうしたらいいんだろう?」

 

「なんで今までこだわってたんやろ?」

「上手に書かねば」と考えていた作文の宿題。書けなくてうんうん唸っているナイトウに、友達が言った。「そんなん、自分の書きたいように書けばええねん」。妙に腑に落ちた。自転車の補助輪が外れ、風を切って走り出した時の快感に似ていた。「自由っていいなぁ」の原体験だった。

また、現在得意とするデータ分析につながる種も、この頃生まれた。

「ダイゴ、お前のミニ四駆すげえなぁ」、小学6年生の内藤を囲んで友達が口々に騒いだ。当時、小学男子の間で大流行していたミニ四駆を「一番速く、かっこよく走らせる」ための情報収集と取捨選択が、そのまま後の訓練になった。

 

彼が中学校に進み、部活も勉強も学級委員も、初恋も初失恋もという青春を送っていた頃、短大を出てほどなく結婚したしみずは、3児の母となっていた。慣れない環境での子育てや長男のアトピー等悩むことも多かったが、地域のサークル活動を通して知り合った多くのママ友たちに助けられた。同じ頃公開の米映画『パッチ・アダムス』が説いた「ユーモアによる治療」だ。「笑いは心にスッと風が通る余地(隙間)を作ってくれる」ことを、頭ではなく身体で実感した。

ちょっぴり心に余裕ができると、生来の勉強好きが頭をもたげた。図書館司書、くらしとお金の専門資格であるAFP(アフィリエイテッド ファイナンシャル プランナー)、福祉住環境コーディネーター(2級)等、次々に資格を取っていった。これらが後に、「その人本来の力とやる気を引きだす“心の魔法使い”」へとつながった。

人を叩きのめすのも言葉、鼓舞するのも、また言葉。

私立男子校へ進学したナイトウは、忘れられない3つの言葉と出会う。

一つはホームステイ先のホストファーザーの言葉。「Daigo, did you have fun?」

もう一つは英語教師の「マッチ棒みたいなひょろひょろの夢なんか持つな。自分がしがみついても大丈夫なくらいの、丸太のようなでっかい夢を持て」。

最後の一つは、『竜馬がゆく』の「世に生を得るは、事を成すにあり」。

 

この年齢にありがちな、大きな夢と現実の狭間で悩んでいたナイトウ少年は、これらの言葉を糧に、「将来は起業家」を志す。時代も彼に味方した。ちょうどその頃、自宅近くの関西大学が「AO入試」を始めたのだ。起業家・南部靖之氏が関大出身と知り、「ビジネスプランを書いてAO入試に挑戦」を決意するも、思わぬ難敵が立ちふさがった。担任教師の「そんなことを考える時間があるなら英単語の一つでも覚えろ」という痛罵。

 

言葉で打ちのめされた彼を、これも言葉が救った。NHK『プロジェクトX 挑戦者たち』。画面の向こうで第一次南極越冬隊隊長の西堀榮三郎氏はこう叫んだ。「とにかくやってみなはれ。やる前からあきらめるやつは一番つまらん人間だ」。頭をどつかれたような気がした。「そやっ!俺、まだ何もしてへんやん!」

 

わき目もふらず試験に臨んだ彼を、ゼミの指導教授・矢田(専門:データマイニング)はよく覚えていた。「目が必死だったから」。その矢田教授のもとで、苦手だった数字・データの面白さに開眼。ゼミ室に寝袋まで持ち込んで没頭した研究は、ヨーロッパの大きな国際学会「ECML/PKDD」(機械学習とデータマイニングの国際会議)での発表という快挙をもたらした。但し、必修の第二外国語を落とす、というおまけつきで。

ーは+、+はー。

その頃のしみずは、以前から興味のあった介護の現場で、次いでファンシー雑貨の店へパートに出るようになり、同時に小学校のPTA副会長も務めていた。若い人はもちろん世代を越えて交流する楽しさを思い出した彼女は、気付くと、「まつりのしみず」の異名を奉られていた。その場をまとめ、盛り上げ導く、今につながる萌芽(ほうが)だった。そんな、内に秘めた能力の開花には、祖母の死去が少なからず影響していた。

 

一方、その頃のナイトウは授業が週一コマになったのをいいことに、就職活動と並行して、自称起業家のもとで変な修行をしていた。その人は「大学生にビジネスを教える」という名目で、車検切れの高級外車の運転手をさせ、コーヒーショップのワンオペ店長を命じた。

この時点で「おかしい」と思えそうなものだが、「起業家なら一癖もふた癖もあって当然」と考えていた彼は、ブラック企業もかくやという待遇に異を唱えなかった。

朝は5時起き、帰りは深夜2時。若い肉体でも半年も続ければおかしくなる。目の下にはくま、倒れ込むように帰ってくる息子を心配した父はある夜、偶然を装って深夜の帰宅を出迎えた。「お帰り。遅くまで大変やな。お風呂とご飯とあるけどどっちにする?」

久しぶりに聞く父の声。疲れと気恥ずかしさで目も合わさずに「風呂」と答えたナイトウの背中に、父はこう付け加えた。「湯加減、ちょうどにしといたから」。

 

半年間シャワーだけだった肌に、湯の温かさが染みた。鉛のようだった身体がほぐれ、気が付くと、手は自然に胸前で合掌していた。

ダイニングには、母お手製の野菜スープ。熱過ぎずぬる過ぎず、彼好みのそれを一口飲んだ瞬間、砂地に水が沁みるように、細胞一つ一つが生き返るのが分かった。

 

「俺は何をそんなに意固地になっていたんだろう?」

知らず知らずのうちに小さく固くなっていた心が、元のしなやかさを取り戻していく。感謝を伝えたくて、台所を丁寧に掃除し感謝の手紙を書いて、朝日と共にコーヒーショップへ向かっていった。寝ていなかったが、不思議とエネルギーに満ち溢れ、自称起業家から離れる決意もできた。

 

そんな父は、詐欺被害からも彼を守ってくれていた。幼い頃から繰り返し教えられた「何があっても保証人にはなるな。実印は渡すな」。自称起業家からこれらを要求された時に断固として断ることができたのはこのおかげだ。結局、その人は詐欺罪で逮捕された。

 

しかしそんな詐欺師も、思いがけない置き土産をしてくれた。

会ってすぐ、「これきっと君の参考になるから」と渡された一枚のDVD。ジャケットには『ペイ・フォワード』とあった。2000年のアメリカ映画(日本発売は2001年)。11歳の少年が、「もし自分の手で世界を変えたいと思ったら、何をする?」という担任の問いかけに答え、「自分が受けた厚意をその人に返すのではなく、周りにいる別の人に贈っていく」物語。

 

最後にコーヒーショップに立った日、一人の女性が微笑みながらナイトウの前に現れた。「長年疎遠だった母と仲直りできたのは、あなたのおかげです」と。以前、「ナイトウ流ペイ・フォワード」として自腹でコーヒーを贈った人だった。

「もらったメッセージカードに書いてあったことを、勇気を持ってやってみたんです。これ、今でもお守りにしてるんですよ」。

 

彼はアッと叫びそうになった。巡る感謝、まさに「ペイ・フォワード」。両親への感謝で温かくなった心のままにその人に贈ったコーヒーが、大きな、思いも寄らない感謝となって返ってきた。

その人が今も大切にするメッセージカードに彼はこう書いていた。「このホットコーヒーのようにあなたの温かい何かを誰かにプレゼントしてあげて下さい。一杯のホットコーヒーが世界を少しだけ温かくするように」。

「クレーム製造機」と胃潰瘍からの脱出

その後、ギリギリながらも新卒として就職し、メキメキと頭角を現す。しかし業界事情に疎い新入社員にサブリーダーは荷が勝ち過ぎた。たちまち「クレーム製造機」というニックネームを付けられてしまう。毎朝通勤途上で願うのは、「今日はクレームの電話がかかってきませんように」。

 

同じ頃、しみずも苦しんでいた。夫が過労から体調を崩し、休職。彼女の肩に、家計の補填、3人の子どもの世話と夫の看病がのしかかった。幸い休職は1年程で済んだものの、その間の忙しさが、今度は彼女を蝕んだ。胃潰瘍に全身状態の悪化。「自分の身は自分で守るしかない」と気づき、ヨガやアロマセラピーを始める。今アメリカ等でブームとなっている呼吸法や瞑想法にも先んじて取り組んだ。

 

その頃の二人を夏目漱石流に言えば、「ふわり、ふわりと魂がくらげの様に浮いて居る」(『草枕』)だろうか。再び自分の足で大地を踏みしめるのはしみずの方が早かった。生来の聡さと、これまでの学び、人を助け助けられという経験、ヨガや自然食等の実践を通して、彼女なりの心の健康法を編み出していたからだ。

 

一方、ナイトウはそう一直線というわけにはいかなかった。ゼミの先輩から、「お前のデータ分析のスキルと根性を活かしてほしい」とヘッドハントされるも、心は千々に乱れた。「ここで転職したら何を言われるか分からない。だけど挑戦してみたい」。小さい頃からの癖である、優等生であろうとする自分と、その殻を破ろうとする自分と。

帰ってきても口もきかない息子に、母は言った。「人間は幸せになるために生まれてきたんだから、あなたが一番幸せなことをすればいい」

 

「よしっ!なんと言われようと俺は俺。思いきりやってみて、力及ばねばそれだけのこと」。そんな意気込みと共に、つきあっていた彼女に「3年後の結婚」を約束し、単身東京へ。

そこで待っていたのは、これまでとは真逆の「期待してるよ」の声。他人からの評価は心地良い麻薬。もっともっとと欲しくなる。お客様のためにと思っていたことが容易に自分のためにすり替わる。そんな甘えに冷水を浴びせたのが、東日本大震災だった。

2011年3月11日、東日本大震災。

一瞬で崩れ去る日常。普段なら30分ほどの職場から寮までを、何時間もかけて歩いた。辺りは暗くなってくる。そんな心細さと疲労が見せた幻だったろうか、亡き祖母が傍にいるような気がした。

「ダイゴ、心を縛ったらアカンで。この世に絶対の正解はないんやからな。何が大事かよう考えや」

祖母も曾祖母も、時代がどうあろうと毅然として自分を生きた女性だった。特に曾祖母は、ハイカラさんの中のハイカラさん。それを見て育った祖母も、当然その生き方を受け継いでいた。

 

俄然(がぜん)、他人の評価を絶対視していた自分がおかしくなった。と同時に、本当に大切なものは何かと考え始めた。大阪に残してきた彼女の顔が浮かんだ。自分を信じて待ってくれている女性(ひと)。奇しくも、約束した3年目だった。

 

結婚を機に、以前から行きたかった遍路道(みち)を一人で巡ってみた。お遍路さんの笠に「同行二人(どうこうににん)」とあるように、道々、お大師さんと問答した。「僕は自分を良く思ってもらいたい。できる奴だと見せたい。でもできないことだらけ。そんな自分が嫌になる。ずっとそれの繰り返しで苦しいんです」。その日はもうクタクタだった。だからとことん自分に正直になれたのかもしれない。気が付くと、答えを出していた。「自分を大切にできない者が、他人を大切にできるわけがない。まず自分に『ありがとう』を言うのが先だろう」。祖母が隣で、「やっと分かったのかい?やれ、長いことかかったね」と笑っているような気がした。

 

 

大阪にいたしみずは、ナイトウほど直接的な震災体験はしなかったが、「誰かの役に立ちたい」と強く思い始める。笑いながらヨガを行う「笑いヨガ」や、健康運動実践指導者としての研鑚を積み、子どもたちにダンスも教えた。ボランティアやNPO活動で介護施設や公民館、学校を回るといつも、「不思議やねんけど、あんたが来ると元気になるんよ」と言われた。確かに、スナップ写真にはしみずを中心になんともいえない笑顔が広がっていた。

祭りの中心には太鼓がある。真ん中にあるが、音頭をとるだけで決して主役ではない。主役は周りにいる踊り手。ここでしみずは気づく。「ずっと主役になれないのが悔しかった。でも、なれへんなら、なれへんでええやん。『あんたがおらへんかったら困る』と言われる名脇役になればええだけ。だってそれが自分、自分らしさ。ありのままの私やもん」。しみずが自分の殻を完全に打ち破った瞬間だった。

2014年、会うべくして会った二人。

「引き寄せの法則」というのは、確かに存在するらしい。しみずが欠けていたものを取り戻す勢いで、笑いヨガや体操教室講師として活躍しだした頃、ナイトウも決定的に人生を変える質問と出会う。「世界中の全てを持っていたら、今から何をしますか?しませんか?」

 

ごく自然に、会社を辞めて妻と一緒に世界一周旅行に行くことを決めた。決断したら早い。5か月後にはまず語学研修も兼ねてフィリピンに旅立っていた。ただ教えられるだけではもったいないと、現地の教育者を対象に「自分らしく生きる」をテーマにセミナーをした。グローバル化が進む中で、ワークライフバランスや生きる意味を求める人がますます増えると思ったからだ。

 

「Daigo, thank you very much」の声に背中を押され、ラオスでは象使いに弟子入りして言葉を使わないコミュニケーションを、スリランカではドイツ人から禅の哲学を学んだ。カナダで見たオーロラは、自然の底知れないスケールを教えてくれた。

 

そして2014年、ナイトウが開いたセミナーで、二人は出会う。清水は、大ヒットしていた映画『アナと雪の女王』の主題歌そのままに、そこにいた。「Let it go(ありのままで)」。ナイトウは彼女の中に、映画のテーマである、従来のプリンセス像を越えた女性~ありのままの自分で自分の進路を切り開く女性(ひと)~を見た。しみずも、初対面なのになぜか懐かしい不思議な感覚を抱いた。セミナー後の懇親会で「二人いれば何かできる」を直感した。

 

そこから「二人でできる何か」探しが始まった。お互い育った環境も立場も年齢も違う。時にケンカもしつつ、一年後に「イベントMOVE」を始める。学問やビジネスや人生の失敗と成功、逆境の乗り越え方etc.自分の経験を誰かの役に立てたいと考える人なら誰でも話者となれる参加型のセミナー。世界中を席巻した「TED(Technology Entertainment Design)」の大阪版と思って頂ければ話が早い。

本家「TED」より優れていたのは、“他人軸”ではなく“自分軸”で生きるようになったナイトウが、かつての自分と同じように苦しんでいる人の心の凝りをほぐしていったことと、しみずの「笑いヨガ」という行動を促すおまけ付きだったことだ。

思わぬ障壁と、「禍福はあざなえる縄の如し」

二人のイベントは、アメリカのラジオ番組から注目され、ケーブルネットワークTVからも取材される等、大きな評価を得ていった。光があれば影ができる。二人の活躍を快く思わない人々からの理不尽な批判に負けたくなくて法人化。活躍したのはもちろん、司法書士であるナイトウの父だ。

 

2016年4月、株式会社夢峰設立。当て字で「むーぶ」と読む。これまでの「イベントMOVE」を続けながら、ナイトウは得意のデータ分析で、しみずは笑いヨガ講座で、収益を作っていった。

 

1年が経った頃、二人は共同創業者となった本当の意味に気づく。

 

ナイトウのデータ分析とは、企業に眠る様々な数字やデータから、不要なものを削いで削いで、これ以上は削れない核心部分に迫ること。いわば、引き算。

データ分析というと、一見、誰がやっても同じ答え・正解があるように思う。しかし、そうではない。分析者の考え、どこまでクライアントを想えるかで、期待を超えられるかそうでないかが決まる。「自分はここまで」、そんな制限をかけていては覚束(おぼつか)ない世界だ。

 

生き方も、分析にも、絶対の正解はない。だから、自分を縛るな。

 

できる/できないに拘泥し、常に他者の評価を気にしていた数年前までの彼とは違う彼だからこそ、全く新しい視点からの提案ができる。

 

一方、しみずの「人を動かすメソッド」は、打ち手を実行していくのに不可欠なもの。野球に例えれば、カーブを投げるためのボールの握り方は「知識」として学ぶことができる。しかし、それだけですぐにカーブは投げられない。やってみなければ、いつまで経っても絵に描いた餅だ。しみずはいわば、ナイトウの描いた最善の「行動書」を、二次元から三次元に持ち上げる存在、いわば、足し算。

人の心と自分の心の間で揺れ動いた清水だからこそ、同じように悩んだ内藤の投げた球をうまくキャッチできる。良きバッテリーなのだ。

名は体を表す。名コンビ、誕生。

自分達の価値を一目で分かってもらえるよう、夢応援プロジェクト「ひき算とたし算」を立ち上げた。「V」の字をモチーフにしたロゴは、ナイトウの発案だ。不思議なことに、それはナイトウ家のお墓の家紋に似ている。

しかしこれは正式な家紋ではない。彼の父が5歳頃何気に描いたスケッチを、あのハイカラさんな祖母が「なかなかええな」とわざわざ図案化して刻ませた、いわば第二の家紋。この囚われない自由さはどうだ?「な、言うたやろ、何事も絶対の正解はないんよ」。おやおや、祖母のドヤ顔が見えるようだ。

 

 

今二人は願う。人も会社も、見栄・体裁・外面(そとづら)・意地etc.そんな生きづらいものを引き算して、自分のいいところを見つめて、「それ、ええやん!」と応援される「らしさ」を足し算していってほしい、と。そして、心から笑ってほしい、と。

 

世界に75億人いても、2億社以上の企業があっても、日本だけで1,700を超える市町村があっても、一つとして同じ人、同じ会社、同じ町はない。

心を縛らず、ありのままで。それこそが、価値。

誰にもどこにも負けない、あなただけの。

 

「それに気づいてもらうために、それを拠り所により良くなってもらうために、私たちはいるのです」。

二人の揺るぎない決意を聞いた。

昨日より少しでも良くあれ、上を目指せ、後退は悪。

積み重ねて積み重ねて、自らまとった衣に窒息しそうになっていた会社に、

現場の数字から本質に迫っていく。無駄に着こんだ衣を一枚一枚はがしていくと、やがて現れる〝核〟。+プラス思考では見えなかった本当の姿。

削いで削いで残った芯と時流を組み合わせて、辿るべき道を提案する。

さながら探検家のように。

 

新しい道も、作っただけでは、ただの道。

最初の一歩を踏み出すには、大きな力が要る。

その力の源である人の気持ちに火をつけていくのが清水の役目。

人はどんな時に自ら動きたくなるのか?

そのモチベーションはどうすれば続くのか?

身体が動けば、心が動く。心が動けば、言葉が変わる。

言葉が変われば、会社も社会も変わる。

 

転がり出した核(コア)は、やがて多くの資源を、人を、巻き込みながら

どんどん大きく、どんどんきれいに磨かれていく

一旦、削ぎ落とし、芯まで突き詰めた核だからこそ、

途中、激流に合っても、石につまずいても、壊れず道を外れず、

やがて立派な珠になっていく

 

「引き算、のち、足し算」

名は体を表す。

この不思議な名前は、二人の「名コンビ」ぶりに気づいた

数奇な出会いによって名付けられた。

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